日射しの強い銀座の街を、ぐるぐると歩いて、歩いて、すっかり焼けてしまった。
シネスイッチまでの道は、わかりやすいのになぜかいつも迷ってしまう。
三越の交差点を中心に、ぐるぐると銀座の街を回っていた。
そうしていると大抵、雑誌でみたお店だったり、偶然の出会いがあるものなのに、
今日はただ暑いなかを歩いていただけだった。
それでも、目を細めて苦い顔をして歩いている人たちとすれ違うたびに、
こんな風に歩いてなるものか、と涼しい顔をして歩くようにした。
無理に涼しい顔をする、という訳ではなく、ただ暑いという感情のスイッチを切る。
アスファルトの揺らぎや日差しと日陰の強いコントラストには意識を向けず、
視線を遠くに延ばしたり、考え事に深く思いを向ける。
そうして、痛いことや苦しいことも、なんなくとは言わないけれど、多少平気な顔でやり過ごしてきた。


ぐるりのことは、感動とか感極まるとか、そういうのを少なからず予想していたのに、
淡くてやわらかな映像は、自分でもわからないくらい深いところのつながっていた感情の通り道を、
放射線みたいに、染み込むたびに手あたり次第に断ち切ってしまったのか、
今は風がよく抜けて、浮かんだ気持ちが消えていってしまう。
ぼーっと歩き続ける帰り道。
感じたことは浮かぶたびに薄い布で包まれていくようで、
色や表情に見とれているうちにどこかに隠れて、何が入っていたかわからなくなってしまった。
人を愛するということは遠いことで、
恋をすることはできても、大事にすることはできても、愛することは、よくわからない。
昔のことは、どんな気持ちだったかを述べることはできても、それを再現することはできない。
そして、もうよく思い出せない。
それがよくわかった。
辛い気持ちになったとかではなくて、
支えあう自然な2人の姿を眺めていると、ずいぶん遠く道をそれてしまったことを思って、
後ろを振り返って、しばらくして、また前を向くことにした。


よく汗をかいたから、冷たいシャワーを浴びて、早く暗いところへ行こう。
そして今夜、越えられない壁を、また、先送りにする。