それでもぼくはやってない@新宿

ライブは7時には終わっていたので、映画へ↑。
山田さんに会ったあとは、いつも加瀬くんに会いたくなる。
きっと、何を考えてるかわからない奥深い黒目のかんじが似てるからなんだな。


ここまで淡々と作ったか、という映画。事実関係や制作側の主張をふまえてこういう構成になったんだろうが、もうちょっとやりようがあったんじゃないか、と思えてしまう。エンターテインメント性は皆無(逆に途中で少し出てきた竹中さんなんて浮いてしまってちょっと可哀想なくらいだった。)。が、そんなものはこの映画には求めていなかったので、いいのだけど。
見終わって、できるならば、日本の司法制度のお世話にはなりたくないなと。立場上、加瀬くん側ではなく、弁護士・検察・裁判官側から見てしまったのだけど、この矛盾・葛藤を抱えた組織では、こんな問題が生じてしまうのは仕方なく、だからといって関わりがない訳ではないので完全に否定できる立場でもなく。映画なのでかなりオーバーに描かれている部分もきっとあって、その点が現実の当事者には不快に映る部分が大いにあったであろうことは考慮しても、実際こんなこともあるんだろうな。
制度上間違っている訳ではないけど、その人のスタンスに依存する部分が大きすぎて、運が悪ければおしまい的なところが本当におそろしいけど、この問題の解決の糸口が見えてこない。「仕事」である以上、僕らが日本人である以上、きっと完全には解決しないんだろう。人生は簡単に狂うんだなあ。おそろしい。
着眼点とこの題材・内容・方向性で撮りきった監督には敬服するが、被害者加害者共に被害を被っている事実は今後も続いてしまう訳で、この映画がどちらにも間違った解釈で利用されないことを願います。映画を見終わった後、しばらくは絶望感に打ちのめされていたけど、単純に鵜呑みにするほど素直ではないので、一から勉強してみようと思った。
帰り道で、自分は、仕事上、制度を変えられる立場にいて、なおかつ組織内の制度も変えられるところにいて、そして職員が矛盾を感じながらもこなしていくしかなかった問題を解決できるところにいながらも、そんなことをこの2、3ヶ月すっかり忘れていて、規則を盾に案件をバシバシとこなしてつぶしていくことに「仕事できるかも」なんてうっすら快感を覚えていた自分がおそろしくなった。忙しさにかまけて、えらくなったもんだ。大元の目標にそぐわない規則なんて変えてしまうべき。全ては職員と組織のために。あ、あとお客様。


映画の待ち時間の間に購入。@サザンテラス紀伊国屋

真鶴

真鶴


歌舞伎町広場では、ギターの人たちと数十人の団体が「翼をください」やらで踊ってて、楽しそうだった。毎週やってるのかな。