廊下の遠く先に、帰りがけの偉い人を見つけ、お疲れ様を込めて会釈をしたら、
さっと手を挙げて挨拶してくれた。
あまりにふいで、そして爽快で自然な挙げ方だったから、
ついついつられて、こちらも手を挙げてしまった。
今日の失敗。




今日の夕飯で、作ってもらったものを大抵食べ終えた。
昨日と今日の僕は、それを思考に変え、言葉に変え、
キーをたたく指の動きに変え、行きと帰りの歩みと本をめくる動作に変えた。
夜も深くなりはじめた頃、上司と作りかけたルールの意味や想定や拡がりの話をした。
言葉に意味や思いを込める作業が好きだ。
出来上がった形や答えの理由を考えることがとても大切だと思う。
だから今の仕事をしていられる。


なかなか治らない指をビニールに包んで、ひさしぶりに湯舟に浸かった。
レキシントンの幽霊の沈黙を読み終えてから、ふと思って、お風呂に続く台所の電気を消して、
台所の先の部屋の電気を消して、最後にお風呂の電気を消して、完全に光を断った。
ここに届く光は、たぶん、玄関ドアののぞき窓から入ってくる丸い光の筋だけ。
暗闇に慣れるのは少しの光があるからで、それはドアを閉めたお風呂までは届かなくて、
いくら目を開けていても、閉じても、暗闇は全く変わらない。
気がつかなかった隣の隣の部屋の声や(隣はまだ帰ってきてない)、コンピュータのファンの音が耳につく。
光のある暗闇の中で目を閉じるのとは違って、何をしても当たり前のように黒い空間がある。
色や形なんて最初からなかったように感じる。
手や体の境界線に触れるものを目で想像して作り上げた感覚が除かれて、ここには純粋な感覚と、音がある。
目が見えないのは、きっとこういう世界なんだろう。
狭い個室の限りなく限定された空間だからだけど、ここでは当たり前で、なにも不都合を感じなかった。
浮かんだ言葉が頭を過ぎて、お湯に溶けて、消えていく。
たまに怖いシーンを想像してもそう感じることもなく、今日はなぜか眠気が深く襲ってきた。
もう少しこのままでいたかったのに。
暗闇部はまた次の機会に。
おやすみなさい。