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リンリンが亡くなったニュースを何度も聞いた。
動物園にはあまり行ったことがなくて、リンリンも実際に見た記憶もあやしいくらいでとても悲しい。
その生涯を動物園の動物としての役割に捧げることになって、
日常の中で彼らのことを思うこともほとんどなくて、
その役割を全うし続けた彼らの生涯を感じて思ってあげることが出来なかった。
動物や自然を少しでも身近に感じて、想像することで、優しい気持ちを感じて、この先の関わり方を変えていく、
人の都合とは言い切れないけど、結果、動物園で暮らすことになった彼に会いにいくことを、
思いもしなかったこと、、
あー、ぶつぶつ言うのはもうやめ。
君を思って、久しぶりに動物園に行くことにするよ。
飛行少女、読了。
こう並べて眺めてみても、このジャケット、すごい好き。
この装丁を手にしていられるなら、それだけでこの本を読む価値は十分にあるような気がした。
内容を確かめずに図書館で貸りた本で、実はホラーだったり(おどろおどろしくはない)、
症状の描写がリアルでちょっとひいてしまう箇所もありつつ、
それでも展開や感情表現に引き込まれて、ずんずん読み進めてしまった。
レビューを見ればわかるとおり、ラストに過度の期待をすると消化不良を感じるかもしれないが、
事前に知っていた分、エピローグではきれいに着地できた。
他の作品はあまり評判よくないみたいだけど、手に取ってみたい気もする。
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外から取り込む「運命」という言葉には、悲しいイメージがある。
起こってしまったことに対する諦めの感情が、ため息まじりにこぼれる音がする。
もちろん前向きな使い方もあって(例えば「運命の人」に代表されるような)、
でもそれは、どうにも軽すぎて、恋とか愛に使われるその言葉にはどうも感情移入ができない。
現実感と、言葉の重みがないのだ。
現実感については、そのままの意味で、プラスの意味での運命を感じた瞬間が思い当たらないこと、
そして言葉の重みについては、喜びの感情に対して、
悲しみを込めてもらすその言葉があまりに大きくて、相対しようがないこと。
だからって、これまでの人生がそんなにどん底だったわけではなくて、
運命と表せないこともない場面もあったけど、
それは巡り合わせだったり、出会いだったり、奇跡だったり、そういう言葉の方がしっくりくる。
運命を感じるときには、悲しさと優しさを抱いていたい。
受け止めることに寛大であって、諦めるのではなく、今の状況をこの先にどう繋げていくか、
その瞬間が最悪の状況を迎えていたとしても、その出来事が、どのような影響を及ぼすか、
過去に過ごしてきた時間が、今に繋がったことが全て、悪い方向に作用してきた訳ではないこと。
ただ流されている訳ではなくて、一点に向かっていたように思える運命も、
自分や誰かの選択によって、何本もあるうちの今の道筋を辿っていること、
変えようと足掻いたこと、ときに流れに身を任せていたこと、
全力疾走だったり、のどかな休日であったり、それぞれに十分に価値がある時間だったこと。
もっと絶望的な瞬間には、運命なんて言葉は使わない、なんて思ったり、ちょっとずるい。
そんなに格好いいものじゃないかもしれない。
でも、この言葉は、悲しいだけじゃなく、紫や濃い青の奥から、白い光が透けるようで、嫌いな言葉じゃない。
古の時代から脈々と連ねられてきた信じられないような偶然だったり、
繋がるべくして繋がった大きな流れを感じることがあれば、自分の中の意味がすっかり置き換わるような
出来事があるかもしれない。
そんなことを空想しつつ、期待せずに、
すっと息を吐いて、視界を良好に、まわりまわって歩いて行こう。
後ろ向きのような前向きのような。
本と関係あるようなないような。
悲しみを憎しみや怒りと掛け合わさなかったこのお話に、とても共感しました。