オトノハ朝市。
食器を1つで買うのはさみしい気がするので、いつも2つ買ってしまう。
少ないけれど、なんでも2つずつある家。
というのがいいな。
革の小物がとてもかわいくて、鞄もブックカバーもほしくて、
でもそういうのって、その場でなかなか手が出ない。
だって、革だもん。
なかなか、決心を付けないと買えない。
手縫いで作っているみたいで、作ってる姿を思い浮かべながら手に取る。
作っている姿はどれも格好良いけれど、縫い物をしてる姿は独特だ。


午後は、映画を流しながら、縫い物をしたり、夏の終わりとともに壊れた扇風機を分解して直したり、
キッチンの模様替えをしたり、どこにも出掛けずのんびり過ごす。
埋もれていた梅酒もりんご酒も、見えるところに出してあげた。
さて、飲むよ。


時間があれば、阿佐ヶ谷住宅善福寺川の桜を見に、走りにいこうと思っていたのに、
雨が降ってきてしまった。
桜の花は週末までもつかな。
来週はお花見が2本もあるのに。


頼んでいた白い生地が届いたので、水筒入れの前に、小さいのをひとつ。
午前中の小物屋さんに、ちょっとあてられた。
キルティングはやわらかくていいな。
チャックは歯みたいだけど、中身がかわいい。


日曜の夜になると、熱を感じる。
のどの奥がひりひりして、循環していたはずの体の熱が頭に詰まって、たまっていく感覚。
仕事が嫌だとかそういうのでは全然なくて、
どちらかと言えば、現実的で、夜になって花粉の薬が切れて、ぼやぼやしていた体が目覚めて、
やっと風邪菌と戦いはじめてくれた、ような気がする。
たしかに平日だって、薬が切れはじめた7時ごろには頭が熱くなっていたのに、
仕事を片付けているうちに、そんなことは忘れて、いつの間にかふとんに入って、次の日だ。
休日の夜は、主に内側に考え事をしているから、こういう変化にも気が回る。
そんなときには、太るとかもたれるとか関係なしに、とにかく食べるようにしているけど、
今日はそんな気がしなくて、おとなしく、生姜湯を入れて、お風呂であたたまって、
寝ることにしよう。
食べなかったせいで、明日から風邪なんてことになったら面倒だなあ。
ひいてもいかなきゃいけないことには変わりないんだから。


この季節は慣れ親しんだ人と離れてしまったり、変わり目で揉め事があったり、
忙しさでピリピリしていたりで、さみしかったり怒りっぽかったりする。
明日からも、朝から決めごとを作ったり、けんかみたいな電話になったりで、
考えて考えて、心がすり減ったりするんだろうなあ。
あら、り、ばっかり。
ふと、回りの人たちは関係に近いも遠いもあっても、
単に「職場の人とその延長」という分類で認識していたことを思う。
自分を中心に考えて、皮膚より外側で区別すれば、そうなるような気がする。
でも、自分を薄めてひろげて、自分が関わって影響を及ぼす範囲を、
自分の生活する範囲をひとまとまりの生き物としたら、
彼らは、ともに生きる同士であって、職場だったら、目的のもとに進む仲間になる。
立場が変わってきて、強く意見を主張して、それがそのまま職場のルールになってしまったりするから、
どうしても個人の色が濃くなってしまって、自分とその外、という線を引いてしまうようになった。
本当はみんなで進んでいるのに。
忙しくて、余裕がなくて、回りを手伝うこともできなかった。
「自分の仕事は自分で片付けるものだ」と、手伝うことも嫌がった。
手を抜いているようにしか見えなかった。
でも、「これは自分の仕事、これはあなたのやること」ではなくて、
「このまとまりでこれを作ってこうしたい」なんだから、そもそも線も区別も必要がなかった。
イライラすることが、そもそも間違いだった。
まとまりごとに進むべき方向や、目標が違っていて、でも、それはどこかで繋がっていて、
そういうのを少しずつひろげていけたら、もう少し余裕をもって、ゆったり過ごしていける気がする。
明日からは、、とりあえず、ちょっとずつがんばっていこ。
そんなことを、五目あんかけ焼きそばを食べながら考えていた。
お酢がおいしい。