5時頃から寒くてふとんを出れず、8時過ぎまでうとうとしてる。
やっと乾いたワイシャツにアイロンをかけながら、実家からの新米の玄米と白米を受け取って、
朝一で予約した荻窪美粧へ。
自転車のタイヤから変な音がすると思ったら、みるみるしぼんでいく。
パンクって、いくらくらいかかるんだろ。


隣のお姉さんがTrippenの靴を履いていて、こちらはcoverで、おおおと思ったけど、
全然気付いてもらえなかった。
もう2ヶ月近く切ってなくて、ショートボブくらいになってた髪も、
ぺったりとして、ちょっといい感じになった。


帰って、百音でいただいた手のりかぼちゃを、かぼちゃほうとうに。
身体が冷えるから、たくさんの生姜で風邪予防。
仕事からあたまが離れると、身体の微妙な声に気がいく。
お風呂に入りたい。
GAIAの餅つきを見に行こうか、映画にしようか、迷って、
1人で居たい日だから、映画にする。
窓を開けると外は寒くて、ハイネックを出して、マフラーをぐるぐる巻いて出掛ける。



いのちの食べかた(Our dairy bread)」を見に渋谷イメージフォーラムへ。
3時の回を見に行ったら、3時には長蛇の列で立ち見になるらしく、
5時の回の整理券をもらって、空いた時間で、結局GAIAへの往復。
着いた頃にちょうど餅つきが終わったようで、つきたての玄米餅をひとついただく。
玄米の味でもない、お正月のお餅の味でもない、なんとも言えないやわらかい味がする。
小さな子が、6つも食べたよー、とうれしそう。
誰かのお子さんなんだろう。 かわいい。


映画を見たあと、雨がふりそうなので、足早に帰る。
覗こうかと思ってた、百音もオトノハも今日はなし。
イルビゾンテのときは、いつも雨のにおい。


結局家まではふられず、着替えて窓を開けたら、雨と雷。


夕飯には、炊いておいた黒米のごはんと、生姜入りのおみそ汁。
気持ちが落ち着くまで、少し籠ろうと思う。



yuyujinの湯呑みとGAIAの林檎。
UVAの紅茶を飲んで、林檎の匂いをかぐ。



いのちの食べかた
http://www.espace-sarou.co.jp/inochi/


日本ではない、遠い国の現実なので、どうとるかは自由だし、
正直かなり気分の落ちる映画なので、見ることは勧めません。
そういうテーマを考えることは大切なことだと思うけど、この映画は強すぎて。
以下も、興味のない人は見ないで。


ヨーロッパの食品加工工場の現状を解説なしに映像のみをまわしつづけたドキュメンタリー。
作業する人々のなにげない食事のシーンも織り交ぜながら、
野菜の生産から収穫までの工業化された行程や、
家畜の飼育や、搾乳、加工など、工場の行程の1コマ1コマが撮られている。


現実はこんなものだと思う。
外国の話で、日本では多少異なる点はあるにしろ、
合理性や生産性、衛生面を追求すればああいうことになるだろう。
ただ、そこには生産者の感情や、生物への感謝や畏敬というものが全くない。
植物は機械的に農薬を撒かれ、豚や牛、鶏や魚は誕生から屠殺、加工まで物体として処理されていく。
利潤のため、経済として追求していけばこうなるのは仕方がないことなんだ。
仕事として、淡々と処理していけば、この映像は納得がいく。
そして、仕事をする側も、どこにでもいる普通の人たち。
日本やその他の外国では、この現状が全てではないにしろ、
自分たちの口に入るものがどういう過程でここまでたどりついたのか、を知る必要があると思った。
だから、この映画を見た。


納得はいく。
でも厭だ。
生き物が食べられるためだけに育てられて、行程の上で効率よく殺されていくことが。
生産性を高めるために、大量に作るために、先のことを考えずに、基準だけを逆手に取って、
無駄に作って捨てていくことが。
まだ整理がつかなくて、うまく表現できないけど、そんな風に思う。


生産者が大切に育てたものを、大切に育てられたものをいただきたい。
全ての過程をふまえた上で、納得して対価を払えるものを選択したい。
無意識の欲求のために、気にもせずに口に入れられ、または残されて捨てられる食べ物が、
どこから来ているのかを考えるように、物事の初めと終わりと、これからとを見て、
少しずつ進む道を変えていきたい。


そして過程に多少の違いはあれ、大切に育てられた野菜や動物も、
結果的には命を絶たれて、自分たちの身体の一部になる訳で、そのことから逃げてはいけないんだよね。
でも、ある本の「たまには精のつくものを。」と肉を買ったりするシーンが好きだし、
アラスカのクジラ漁の話は何度も読んだし、
お祝い事のときに育てていた家畜を惜しげもなく振る舞ったり、
そういうものだったし、そういうものだと思う。


最後は、工場の洗浄のシーンで終わる。
屠殺時に大量に流れた血や、日毎の洗浄のために工場に大量に散布される薬品は、
排水溝からどこに流れていくのだろう。
終わったことの後始末を、どうつけていくのか。
この行為の今と初めにはどういう意味があって、この先どうなって行くのか。
そういうことを言いたかったのかな。


おいしいものをおいしく食べたい、と思っていて、
その点では、この映画はとても気分を害するもので、過分に摂食障害を招きかねないし、どうなんだろ。
目の前に届くものが、全て安全で、しっかり作られていて、あたたかくておいしいものだったら、
そういう社会になったらどんなにいいだろう。


会場を出る階段では、次の回を待つ人がみんな、帰る僕らの顔を見る。
みんな不安なんだ。