katsuwo112007-03-17

なにかのCMで「しらすの釜あげ」という食べ物がでているらしい。
ここ2ヶ月ほどテレビがないのでCMなんて見れる訳もなく、どんな姿なのかはわからないけど、それは食欲中枢を刺激するには十分すぎる名前で、いつか食べたいと思いつつも早3日。週末中に食べてみたい。


昨日は3時までオーロラを見てしまったので、起きたら10時で、DVDを返しに行ったりごはんを作ったり掃除をしたりで午前中終了。ラピュタを流しながら作業をしてて、目玉焼きのトーストとかハムとか肉だんごのスープとか、制作者の意図で抽出された食べ物だけど、やはり皆の印象に残る多くの食べ物は昔からのシンプルなもので、そういうもので人は何千年も命を繋いできたのだなと思うと、栄養バランスを栄養素のミクロな視点から細かく考えるよりも、この食材で作るこの料理、このおかずにはこの組み合わせ、とシンプルな昔からの料理のレパートリーを基礎からきちんと増やしていきたいなと思う午前中からお昼にかけて。いつかはおばあちゃんがするような作り方を、と。イメージがうまく文章に乗らないな。


さてそろそろ島崎さん映画と、山田さんライブに出かける準備をしないと。


週末にやること。
ポットを買う。(ドリップにお湯を注げる細い口の)
種を植える。
台所に増やす棚のイメージを固める。


5時少し前にボブテイルに到着。
あの細い通路のどこからがシネマボカンなのかわからずに、「シネマボカンはここですか?」と受付の人に聞いてみたら、受付さんも店の名前がわかっていなかった。微妙な間がなんだかおかしかった。
島崎シネマは、専門学校の提供で卒業制作か何かだったのかな。
誰にも会いたくないときも、どこにも出たくないときもあるし、そんなときは、何かに出会って考えて思い直す積極的な回復の仕方と、ただただ時間が解決してくれるのを待つ消極的というのか、ちょっとニュアンス違うけど、そういう回復の仕方のどちらかで、自分もよく落ちるものだからどちらもよく経験するのだけど、最近はあまり落ちてなくて。ひとりで住み始めてからはあまりそこまではなってなくて。つまりなにが言いたいかというと、映像の中の部屋の雰囲気が記録できてて、いい状況であるとは言えないにもとても魅力的な空間だったということ。小さくて、あるのは冷蔵庫とベッドとまるいランプとおもちゃの鉄琴くらいで、外からの情報は小さなラジオと時々届く封筒しかないような部屋。ちいさな窓は雨で結露してて、変わるものは窓から見える坂道をゆく人と落ちる水滴くらい。閉じた世界でじっと1人でいるのは今の自分としてはあまり望ましいことではないけど、1人で考えるのは嫌いではなくて、そんなときに自分の空間があることが改めてうれしく思った。もちろん島崎さんもよかったー。島崎だからこそのあの空気だね。続きが見てみたいな。このあとの散歩をただただ撮るような。海辺まで散歩で、誰かに会うところまで、とか。
ふと、絵葉書じゃないけど、写真の裏に切手を貼って、遠くの友達に出してみたくなった。こんな世界を見ているよって。


見終わって、のんびり下北まで歩いて、モルティブでポットとドリッパーと豆を購入。もちろんコーノ式を。
18時にまだ並ばないつもりでモナの前を通りかかってみると、もう階段いっぱいに行列が出来ていたのでしかたなく並ぶ。山田さん目当てかと思いきや、Round table目当ての人が殆ど。なぜかついてる冷房の風がちょうど当たって、寒さのあまりちょこちょこ眠りに落ちてしまった。
最近安宅さんサポートのライブ(ハンバート、佐藤良成、山田さん)によく当たってていつも思うのだけど、この人の音のつかみはすごい。あれは打ち合わせでああいう音に行き着いてるのか、それとも毎回アドリブなのか。すてきすぎ、安宅浩司。


帰りの新宿駅で、アクマメイクのねえさんがいて、なぜだかニヤニヤしていて、たまに歯を剥いてみたり、えらい恐ろしかった。基本KISSのメイクなんだけど、黒じゃなくて、青なんだよね。それに白のカラコン。回りでちらちら笑ってみてる人がいたけど、全然笑えないよ・・・。ほんとうにまずい、ちょっといっちゃってる状態の人にあったかんじ。常識が通じないのがほんとこわい。帰ってきてもまだこわい。


まいった。やっぱり4月21日の土曜日なんて、京都に空き宿があるわけないか・・・。場所かえるかー。