不機嫌な日。


不機嫌でなくても不機嫌に見えたであろう、そして後半不機嫌だった日。
朝起きたときの体調はまあまあで、ただ頭の内側にうっすら膜が張り付いているような感覚で、何を見るにも聴くにもその膜を通している感じでとても生温い感覚が気持ち悪かった。出だしはよくて、朝の時間も比較的ゆったり過ごせたのに、駅まで行く途中に痰がからんで出してみると血に染まっているのでがっくり。別に咳も全くと言っていいほど出ない風邪で、ただただ喉が痛いかんじはあったのだけど、こう見てしまうとがっくり。腫れるだけで切れるんだなあ。この時点で気分は急降下。今日は大人しく過ごそうと決めた。


淡々と仕事をこなせばこなすほど気分が固まっていき、仕事も増え、かつ後輩くんは週末まで研修に行ってしまい、休職の人は今日も来なかったので、ますます仕事増える。忙しさに眠くはならないんだけど、目を閉じると後ろに引っ張られるかんじがあり、お昼頃からうっすらと吐き気がし、未だ完全には復活&集中はできず。集中しようとするのに気を削がれてしまって、まわりに気を使う余裕がなかったよ。定時が終わる直前にどーんと仕事が出来て、結局7時頃退社。今日までだったミッシャ展@三省堂に間に合うかと思って走ったものの、会場では片付けも終わりのところで、絵の入った額が重ねて壁際に並べてある。こんなシーンは見たくなかったし、どうせならもうちょい仕事が長引いてれば見なくてもよかったのに、とまた降下。下まで降りて、「不都合な真実」を立ち読みして、また降下。たとえ、自然に返る洗剤を使って、油を拭いてから洗うようにして、油も極力使わないようにして、部屋では暖房をつけないで、ゴミの分別も完璧にやっても、数十億分の1の変化では、この大きな流れを止めることはできるんだろうか。この先、確実に今の環境は変わるけど、それを時代のただの変化として受け止めきることはできるんだろうか。環境に意識を向ける人が増えてて、社会もそうなっているけど、それはきっと変わってしまった世界に対応するという終着に向かって進んでいるように思えてならないこの頃。今だって変わっているし。数10年後の未来の人は、今と違う季節に自然を感じたりするのかなあ。小さいことしかできないから、何をしたらいいのかわからなくなるね。


後ろを向こうと思えばいくらでも向けるんだけど、下を向いているだけでも肩にいろんなものが乗っかってくる。いや、いつも乗っかっているんだけど、今日はそれが気になってしまっただけか。
まあ、そんなときもある。
朝にも夜にも体温を測ってみたけど、やっぱり35℃代をこえることはなかった。低体温。
肉も食べてるのよ?
帰ってごろごろし始めたら少し気も上向いてきた。テレビがなくなって、もう10日かー。


天然生活 2007年 04月号 [雑誌]

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今月号には、あのぶさいくねこのまこが。なんでこんなにかわいいのか。