帰り道。
すごく当たり前のことを、ありきたりのことを、改めて思っていた。


もう少しだけ僕の時間を増やすべきだ。
もう少しだけ、僕だけのために過ごす時間を作るべきだ。
彼女のことを第一にしない時間を作るべきだ。


彼女と過ごす時間が心地よくて、それを第一に優先してきたし、
それ以外のひとりの時間も、彼女のことを考えたり、一緒に過ごす時間を想像したり、
ともに思いを共有するべく、できるだけ共通のことをするようにしていた。
求めることも、彼女と僕がともに望むことをいつも第一に優先していた。
それは、今がとても大事で、これからはもっと大事で、決して失いたくないから。
彼女とともに気持ちよく過ごす時間が、僕の幸せだから。


そう思って、過ごしていた近頃の僕は、
ひとりで映画を観ることもなくなったし、
おいしいものや素敵な場所や空間を探すことも、新しい音楽を求めることも減り、
外でコーヒーを飲みながら本を読む時間もなくなったし(それは専ら家になった)、
たまに雑誌を手に取る程度の情報しか得ずに、手の届かない範囲には手を伸ばすことをしなくなった(極端に)。
お金を貯めること、遊びに使うお金を作ることは、言い訳にしかならず、
それに甘えて、内に籠ることがふえた。
積極的に内に籠るなら、そこでなにかに向かうならいいんだけど、ただ未来を思って、静かに過ごしている。
それが少しこわくなった。


考えたいことを考えていた。
楽しいことを、つらいことを、相手のことを。
別に無理なんてしてない。
まったくしていない。
これを依存というのかもしれない。
僕は少しずつ、つまらない人間になっていくのかもしれない。


つまらない人間、ってひどい言葉だ。
外を向いていないことがつまらない、に直結するなんて全く思っていない。
でも、僕は、常に自分が自分であるだけを肯定できるほど強くない。
だから、今の時点で、これまでを素朴に脱ぎ捨てて、自然で無垢で正直な自分になっていくのに、足がすくんだ。


もちろんひとりの時間を無理に作ろうとするんじゃない。
彼女といる時間は、すごくプラスで、減らすことは考えられないし、考えたくないし、自然じゃない。
ひとりでいる時間を、有効的に、濃密に、積極的に、自分のために過ごす。
空いた時間には、彼女に傾けるのではなく、僕が僕のためだけにしたいことをする。
自分のことを考える時間を作る。
これまでに過ごしてきたように。


こうなることを望んでいたし、もちろん自然にこうなって、
心境の変化が先行してしまって、毎日に流されている自分がいることにも気づいた。
僕は、変化したこの先の自分だけになってしまいそうで、それが少しこわい。
これまでの自分ではない自分が、どんな風になるのか、彼女が過ごしたかった僕ではなくなってしまうのが、こわい。
自分が何なのかわからなくなるのが、少しこわい。


もう少し、個として自立しないといけない。
個としても、成立しないといけない。
じゃないと、弱い自分につぶれてしまいそうだ。
もう少し、がんばらないといけませんね。


なにも変わらないかもしれないけど、そう思っていたら、少し変わるかもしれない。
すごく前向きに、少しずつ自分を肯定していけたら、と思う。


帰ってきて、YouTubeを開いたら、おすすめ動画で迎えてくれた。


今夜は、ずいぶん久しぶりにジムに行った。
汗をかくのも、人と話すのも、帰りの自転車も、とても懐かしかった。