今日は会社に行く日だったのに。
動けずに部屋で1日過ごしてしまった。


常に落ちてるこの状態から抜け出したい。
いや、小さな頃からずっとこうだったから、抜け出せる日などはきっと来ないのだろう。
とは言っても、ここのところは少しひどい。



元気ないの。
悩んでるの。
と誰かに告げたい。


でも、どんな顔でそんなことを言えばいいのかわからない。
口にしたら泣いてしまうのか、つまらなそうな顔でいうのか、強がりで乾いた笑いを浮かべながら言うのか。
どれも嫌な自分。
その場その場の行き詰まりを相談することはたまにあるけど、悩みの相談なんてほとんでしないからわからない。
こういう本質的な吐露はどんな顔でどんな場面で言えばいいんだろう。


昔ある人から言われた「君は目の前に宝物がたくさんあるのに、気付かずに通り過ぎていく。それを台無しにしていく。」という言葉。考えが浅くて、まわりとずれていて、当たり前に気がつくことに気がつかなくて、でも学ぼうとはしなくて、結局何も変わらない。変えようとは思うけど、何をしていいのかわからず、何もしない。もう5年過ぎるのに、何も変われていない。わかっていても、どうしたらいいのかわからない。きっとそれが自分の生きる道。ずっと背負っていくもの。誰もが辛い思いをもって過ごしていくように、自分はこのことを悩みながら生きていくんだろう。今も変わらず、選択は大体が間違ってしまう。だから1人はこんなに楽だ。


間違ったことにあとで気がついても、そのとき思ったことを信じていられれば、自分を信じて生きていることになるのかもしれない。あとで取り繕うことで恰好をつけようとするから、自己嫌悪の末に過去の自分を責め、自分の無力さに苦しみ、今の自分を信じられなくなるんだろう。失敗を恥じずに学んで向き合って進んでいけばいい。
けれど、それはとても疲れることでいつもくじけて甘えて腰が折れてしまう。何も学んでない訳じゃない。けど、学んでも、学びきれなくて、いつも気付かずに同じ失敗をしてしまう。本当に思慮が浅くて、浅はかだと思ってしまう。だめな自分はちっとも変わらず、そんなのは信じられるレベルでは到底ない。落とし穴はたくさんあって、もうすり切れてしまいそうだ。失敗を気にしないことで、辛いと思う回線を切ってしまうことで、次の場面にも動じないで対処することには慣れてきたけど、それってそもそも根本がずれている。
結局堂々巡りを自分の中で繰り返して時間だけが過ぎていって、きっとどれだけ長く生きたって、最期には同じことを思うんだろう。


いつも絶望しているの。
いまは少し投げやりになってるの。
動いているときがそれを忘れられるときで、動きを止めてしまうと、ゆっくりと深く沈んでいく。


誰かに言えば、少しは変わるのかもしれない、と思ったから、今度誰かに告げてみようか。
とも思って少し光が見えた気がしたけど、書いているうちに、前にも告げたことはあって、それでも変わらなかったことに気付いてしまった。
あんなに信じてくれていた人に伝わらなかった。伝えられなかった。
このだめもと感が少しでもある状態で伝えられても失礼だし、きっと解決できるのは自分だけ。
辛いときにも笑ってしまうのだけは、もうやめよう。



主人公が死ぬことで傑作となるストーリーだとは到底思えなくて、アメリカ文学とは遠いところにいるなあ、と思ってしまう。
主人公の、自分を変えよう、とする姿に少し心を動かされた。
でも、人生そんなにうまくはいかないさ。
トゥルーマンショーがみたくなった。
ジム・キャリーに会いたい。